⏱歴史
1976年の発足以来、多くの子供たちが社会に巣立っていきました。
スカウト活動の目的である「より良き社会人」として、様々な分野で活躍していることが99団の誇りであります。
今後もスカウト活動の目的と原理をしっかりと見据え、これまで培ってきた歴史を大切にしながらも、時代の流れに対応できる柔軟かつ新鮮な発想で、子供たちの育成に取り組んでまいります。
1976-1985
地域の熱意に育まれた息吹
上郷の森から世界へ
スカウト増加による発団の気運
日本経済はGNPが世界第2位となる高度成長期を迎え、旧戸塚区(現戸塚区・栄区・泉区)人口は昭和35年の113,514人から99団が発団する昭和51年に351,086人と人口は3倍以上増加していた。
こうした情勢の中で、昭和41年から(通称)大船地区小菅ヶ谷を中心に活動する横浜第66団の活動地域も徐々に拡大するとともに、参加スカウト数が年々増加し、第2隊の設置、更には第3隊の設置まで検討せざるを得無い状況になっていた。
このため、現栄区内のスカウト活動を更に拡充発展させるため、横浜第66団から分封による、新団設立が推進されることになり、昭和50年に第96団が、翌昭和51年に第99団、そして昭和54年に第116団が発団することになった。
第66団カブ2隊を母体として分封・発団することになった横浜第99団は、昭和51年3月に上郷町自治会館で横浜中央地区の団審査を受けた。晴れて同年4月、スカウト33名・指導者13名(団委員含む)計46名登録のもと横浜第99団はスタートした。
広場に響くスカウトの歌声
横浜第99団記念すべき初活動は4月11日。育成会長・森不二夫さんにご寄付いただいた赤いチーフをスカウトは纏い、深緑揺れる市民の森は、リーダーが奏でるアコーディオンの音色が響き、スカウトは肩を組み歌った。
当時の広場周辺は民家が少なく、スカウトは帽子取りゲームや団運動会で走り廻り、週末の広場はいつも賑わっていた。
99団の活動地域は旧戸塚区で最も東金沢区寄りの上郷地区と呼ばれ、六浦から原宿に抜ける道一本(環状4号線)の山村で宅地造成ブームによる開発された地域だった。いわゆる新興住宅地に移住してきた99団のスカウトは本郷小学校からの転校生を除いては、地域に馴染みの無い者が多く、むしろボーイスカウトを通じた仲間意識が早くから生まれ、団内の融和、仲間意識が強かった。
地域に理解される団を目指して
99団の活動は地域の理解と協力によって支えられた。森育成会長が現栄区・戸塚区地域の指導的立場として著名な方であり、団のチーフ寄付は勿論、昭和55年に完成した県連スカウト会館の建設費分担金は2ケ団分の金額を井上延義団委員長と二人で地域の家を一軒一軒、趣旨を説明して訪問して回り、多くの住民から励ましの言葉とご寄付をいただいた。これにより感謝の心と合わせ、本当に地域に根ざした活動の重要さを改めて認識させていただいた。
新興地区に生まれた99団の活動をよそ者扱いされることなく、受け入れられたのは、こうした地域のご理解だけでなく、99団が上郷市民の森・瀬上市民の森(地元住民地権者の愛護会組織)の清掃をはじめ、正月明けのどんどん焼き奉仕、連合町内会の敬老会支援、各自治会町内会お祭り参加、現横浜市立本郷特別支援学校の奉仕・合同運動会の開催、現在も継続している通所施設『朋』の慰問活動、栄区民祭奉仕、栄区内5団ラリー(栄区連絡会)など他団に先駆けて特徴的な地域活動に取り組み、地道な活動は現在まで継続している。
発団から5年で海外へ派遣
99団指導者が情熱を注いだ一つに国際交流がある。昭和55年3月、横浜市連合会主催のヨーロッパ派遣に始まり、爾来、多くのスカウトが海外に渡航した。それだけに留まらず様々な国のスカウトをホストファミリーとして団が受け入れて交流を図ってきた。
この背景にはスカウト運動が国際的である、国際都市横浜として早くから国際交流が推進されたことが挙げられる。また、仕事などで国際的な経験が豊富な指導者・保護者が多く、国際思考の団方針は高校・大学で留学、社会人で海外に滞在する者を多く輩出した。
1976
横浜第66団カブ2隊を母体に分封
(登録スカウト33名)
上郷市民の森で活動を始める
1977
ボーイ隊発足
1978
野沢スキー場で冬の村初開催
1979
ボーイ隊5名が団初の菊スカウト進級
1980
イギリス、フランスへ初の海外派遣
シニア隊発足
海外派遣(タイ、香港、台湾)
シニア隊2名が団初の隼スカウト進級
1981
横浜第121団を分封
チーフが新しくなる
海外派遣(アメリカ)
1982
海外派遣(アメリカ・フィルモント)
初のホームステイ受入れ(アメリカ)
海外派遣(オーストラリア)
1983
海外派遣(アメリカ・フィルモント)
ホームステイ(大韓民国)
1984
海外派遣(アメリカ・グアム、ロタ)
チーフが新しくなる
ローバー隊発足
横浜中央地区から横浜南央地区へ
シニア隊で団初の富士スカウト誕生
1985
海外派遣(グアム、サイパン)
海外派遣(ロタ)
海外派遣(アメリカ、カナダ)
1986
戸塚区の一部が栄区になる
富士章1名、隼章2名、菊章3名進級
1987
ビーバー隊発足
発団10周年記念式典
海外派遣(英国ノーフォークジャンボリー)
ホームステイ(大韓民国)
海外派遣(第16回オーストラリア世界ジャンボリー)
1988
海外派遣(インドネシア)
海外派遣(タイ)
海外派遣(横浜・上海友好の船/中国)
富士章1名、隼章1名、菊章3名進級
1989
海外派遣(マレーシア、シンガポール)
海外派遣(アメリカ、カナダ)
1990
ホームステイ(ブラジル)
富士章1名、隼章4名進級
1991
121団閉団
海外派遣(第17回韓国世界ジャンボリー)
富士章2名、隼章1名、菊章2名進級
1992
富士宮市 天使の森で団キャンプ
1993
第1回地区キャンポリー
ホームステイ(大韓民国)
1994
富士章1名、隼章1名、菊章3名進級
1995
女子スカウト加入承認
1986-1995
すべては子供達のために
現在も受け継ぐ99団の性質
加熱する活動と121団分封
登録人数が発団から5年で倍増した99団は100名を超える大所帯となり、カブ隊・ボーイ隊は日連既定の標準隊編成を越えて、それぞれ2隊編成となった。
この頃から県連の団分封に関する指導が強くなり、新団設置を検討せざるを得無くなるが、これに育成会・保護者、指導者は全員反対の姿勢を示した。県連は①団委員長は99団と新団を兼務、②全活動を一緒に行う、③育成会は現行のまま同一とする、などの条件を許可したため、先駆けて分封していた横浜第31団・32団の運営を参考にさせていただき、井上団委員長の下、昭和56年4月に第121団が発団した。
団のルーツはスカウト目線から
発団から10年を経過した99団は昭和62年4月に10周年記念式典を行うことにした。時を同じくして発団した各団も公会堂やホールを貸し切り、記念式典は来賓招待や関係者表彰、式典終了後のパーティーは相当派手で賑やかに行われる風潮があった。
99団は団内で検討した結果、「スカウト活動は子供が主体。スカウト達が楽しく喜ぶ式典を」ということで広場にスカウト・指導者・保護者、家族などが全員集合して行うことになった。こうした99団の式典は他団と比較すると、いかにも地味で簡単なセレモニーであり、記念誌もなし、表彰も森育成会長に全員が感謝の気持ちを込めた感謝状を差し上げるだけで終了した。
セレモニー終了後はバーベキューの祝宴、全員和気藹々次への飛躍を誓った。このバーベキューの雰囲気が現在、春と秋に開催されるフェスティバルへと引き継がれているのである。
長く愛された新緑のチーフ
121団が分封した昭和56年に森育成会長が理事長をされていた横浜南農協(現横浜農業協同組合)の理事よりチーフをご寄付いただけることになり、スカウトの目を表す二つの星、神奈川連盟を表すヤマユリの新しいデザインに変更した。団号は横浜第31・32団を参考に99と121を並べて、チーフのベースカラーは発団2年目から併用していた赤と青の2種類を継続した。
しかし、当時の生地は滑りやすく、チーフリングを紛失するスカウトが度重なり、YOKOHAMAの文字が団号を挟む分断するデザインでもあることから、チーフの在庫数も鑑みて、時間をかけて新しいデザインを検討することにした。
三代目のチーフは昭和59年1月の旗揚式から着用した。厚手の丈夫な生地に文字の配列を組み替え、プリントから刺繍に変更することでヤマユリは立体的にデザインされた。高価ではあったが、団内外の評判は良く、30年以上も上郷市民の森をイメージした緑のチーフは多くの人に親しまれるものになった。
ビーバー隊登録で5隊編成へ
ボーイ隊発足から3年、当時96団預けとなっていた高校生3名をシニア隊(現ベンチャー隊)に登録すると、昭和59年には大学生のローバー隊を発足させて、99団は4隊編成となった。
更に「早くカブ隊の制服を着たい」と活動に連れ添って胸を躍らせていたスカウトの弟達にはかねてから日本連盟が「カブ年齢未満プログラム」導入を検討しはじめ、昭和57年に試行隊が運用開始。昭和60年1月に全国で正式にスタートとなり、ビーバー隊登録が昭和61年に開始されると、横浜南央地区で試行隊のあった第23団などが登録した。
99団は指導者の養成を急ぎ、翌年の昭和62年にビーバー隊を登録して、小学一年生から大学生まで現行体制の5隊編成となり、99団の特長である、先輩が後輩の面倒を見る礎がこうして築かれた。
一方で地域のスカウト加入者は減少傾向にあり、一緒に活動していた横浜第121団は残念ながら平成3年3月に発団から10年で幕を閉じることになった。
1996-2005
深緑に揺れるスカウトの歌声
未来を想う人々に支えられて
地域の縁から生れた僕らの広場
横浜第99団発団を前に指導者体制は何とか整ったのだが、育成会長の依頼である活動拠点の問題が難航していた。
こうした中、第66団若女井団委員長より上郷地区の森不二夫氏に依頼すると良いとの話があり、発団の打ち合わせの場でお会いした所、幸運にも井上団委員長と面識のある方で「あんたがやるのか」と快く承諾していただき、活動場所も「上郷市民の森の下に一反歩(10アール)以上の私有地があるから、そこを使え」と言われたことで、懸案事項が全て吹き飛んでしまった。
資材倉庫も育成会長の関係者や保護者の寄付により整備され、特に団ハウスは第百地区の宅地造成事務所を運搬・建設付きでもらい受け、公園整備で取り壊されるまで99団団ハウスとして、40年も大切に使用された。
栄区唯一のスカウト専用広場
野外活動を展開するスカウティングにとって拠点となる活動場所の存在は募集や子供達の育成に必要不可欠なものである。しかし、近年は都市部において少ない緑が土地開発に伴い、更に減少して活動場所を失う、または転々とする団も少なくない。99団の広場も市民の森編入やトイレ設置など、これまで幾度となく移転問題が発生してきたが、森育成会長の調整で何とか切り抜けてきた。
最大の難関は森育成会長が平成16年に逝去される1年程前、広場が横浜市へ売却構想の対象となり、今後の使用、特に団ハウス存続問題が浮かび上がってきた。
時あたかも、これまで神奈中の車庫としていた育成会長の私有地にユニクロ、マクドナルドが建設されて営業が開始されると、広場売却も現実問題として対処する必要が出てきた。このため最悪の事 態を考え、井上団委員長の新築に下屋を下すとともに、駐車場に物置3台を購入、ボーイの備品庫として使用できるよう準備をした。
この時は幸いにも広場売却は見送られたが、森育成会長逝去後の平成17年に他の地権者から要請もあり広場売却が決定した。この間、森教宏新育成会長と何度も横浜市南部公園緑地事務所に通い、過去の経緯や市民の森清掃・広場の植栽・草刈などの実施状況を説明して広場の現状使用を陳情した。
この時、感じたのが市内で2番目に指定された上郷市民の森の設置、瀬上市民の森、この他、市の行政や地域で貢献のあった前森育成会長から生前の引継ぎ要望があったようであり、その後の動きから見ても、森教宏育成会長や後を引き継がれた現市民の森愛護会長森剛氏のご協力、ご支援があってこそ現在も日常的に私達は広場を使用できるのである。
スカウトの減少と女子加入
これまで増加の一途をたどってきたスカウト数が全国的に減少傾向を示すようになってきた。県連・地区はもとより、99団もその例外ではなく、当団から分封した第121団や横浜南央地区内に廃団が目立つ事態を迎えた。
一方、平成7年にボーイスカウトに女子の加入が認められると、当初は各団相当な戸惑いを見せるとともに、女性指導者の登録義務などが条件により、なかなか踏み切れない団も多かった。
99団は地元のガールスカウト神奈川47団と夏の村やスキーなど合同で活動を実施してきた実績もあり、指導者・スカウトとも抵抗なく受け入れることが可能であり、指導者体制が整った平成10年に女子スカウトがビーバー隊に入団した。
模索が続いたスカウト活動
日本連盟は活動発展に向けて、進歩課程改定に着手するが、当団で数多く輩出していた菊スカウトは数年に一度の誕生となり、最高峰・富士スカウトに至っては1994年以来遠ざかっている。
活動内容も20年を過ぎてから冬の村開催を長らく見送るなど団委員の数が減少し、隊指導者の団運営過多やプログラムの多様化で大勢が体験する活動が減少した。
1996
第2回地区キャンポリー
隼章2名進級
1997
第11回神奈川県キャンポリー
1998
シニア隊がベンチャー隊に移行
かながわゆめ国体奉仕
第12回日本ジャンボリー
1999
神奈川連盟50周年
菊章1名進級
2000
飯山国際スキー場で冬の村
2001
ホームステイ(マカオ)
2002
菊章1名進級
第13回日本ジャンボリー
2003
井上延義氏 かっこう章受章
海外派遣(大韓民国)
ホームステイ(イギリス・大韓民国)
2004
第3回地区キャンポリー
菊章2名進級
2005
菊章1名進級
2006
第14回日本ジャンボリー
ホームステイ(大韓民国)
2007
菊章2名進級
ホームステイ(大韓民国)
2008
第4回地区キャンポリー
菊章2名進級
ホームステイ(アメリカ)
2009
第12回神奈川キャンポリー
2010
第15回日本ジャンボリー
ホームステイ(シンガポール)
2011
ホームステイ(大韓民国)
2012
Edgesキャンプ開始
2013
井上延義氏 たか章受章
第16回日本ジャンボリー
ホームステイ(大韓民国)
2014
富士登山
海外派遣(大韓民国)
東日本大震災支援現地支援
団ホームページ開設
広報誌 みずき広場のたより発行
2015
菊章1名進級
里山保全プロジェクト開始
第23回世界ジャンボリー
ホームステイ(アイスランド)
2006-2015
変わりゆく時代に独自の特色
それは変わりなきスカウトへの愛情
スカウティング存続への決断
日本社会の少子化や青少年を対象とした体験活動の多様化の影響から1980年当時、30万人を超えた日本連盟の加盟員数は、現在、3分の1程度まで減少している。
横浜第99団も例外ではなく、登録人数が50名程度で推移する状態が続いているが、熱い思いの指導者と保護者・支援者によるスカウトの育成を重ね、いくつかの施策を試みながら新たな飛躍のための基盤づくりを続けている。
ボーイ隊は「班の自立と競争」というパトロールシステムの実践に課題を感じていた同じ横浜南央地区の横浜第62団、第88団と年間を通じた合同活動を平成24年から開始した。地区の端にある各隊が集まり、きらりと光る活動をしようとの意思で「Edges」と名付け、田代修ボーイ隊長のもと合同の隊運営の試行を重ねている。
少人数の隊が増えている現状で仲間が増え、活動範囲は広がり、競争意識が芽生えはじめている。
飛躍へ、新たな団改革に着手
99団創設以来永く団委員長を務められた井上延義氏から、平成25年に丸田茂氏へ団委員長のバトンタッチが行われた。井上前団委員長が築かれた地域に根ざし、良き社会人を輩出する伝統を守りながら、育成会を再整備し、組織力を向上することで持続的な発展を図ることが丸田団委員長の方針となった。
そして、米澤宏一育成会長の下、賛助会員制度の創設などにより財政基盤が整備された。また、米田啓輔ベンチャー隊長の尽力で団ホームページの充実や団報「みずき広場のたより」の発刊が重ねられるなど、団内外や地域へ広報が発信され成果を上げている。
団で永く続く行事として社会福祉施設「朋」の訪問がある。夏休みに車椅子の手入れや施設清掃を行い、夏の村で磨いたスタンツや唄の披露を通じ、スカウトと通所者とのふれあいを継続している。
また、99団の伝統として、積極的な海外交流、特に日本にいながらの国際体験としてホームステイの受け入れがあげられる。近年では、平成27年に山口で行われた第23回世界スカウトジャンボリーでアイスランドのスカウト4名、翌年には韓国スカウト4名を受け入れ、スカウト全員参加による歓迎で地区をリードしている。
2016-
変わりゆく時代に独自の特色
それは変わりなきスカウトへの愛情
地域に必要な団を目指して
平成28年に99団広場が横浜市の公園として整備されることになり、長く愛用した団ハウスに代わる鉄骨造の建屋を横浜市から借りることができた。これは上郷市民の森愛護会に後押しをいただき、横浜市が地域への永年の貢献を認めてくれたことによるが、丸田団委員長の粘り強い交渉と藤本千寿カブ隊長を中心とした横浜市公園事業への協力が奏功した結果でもある。
また、制度上、横浜市との直接の契約は行えないため、上郷森の会の借用施設の半分を再度借用する形態で決着している。上郷森の会の厚誼に感謝するとともにみずき広場を活用する仲間として友好関係を続けていきたい。
平成29年度から市会議員を務められる輿石かつ子氏が育成会長に就任予定で地域との結び付きを一層強め、地域貢献する団を目指すことになった。輿石氏は発団以来永く育成会副会長であった角田和宏氏のご息女で深い縁を感じる。
変わらない真髄がスカウト教育
2000年以降、学校が「生きる力」として体験学習を取り入れ、NPOなどの団体もキャンプなどの野外体験活動や国際活動など、ボーイスカウトが特徴とする活動を導入した。競争の中で選択される立場になったこの運動だが、他団体に追随されることこそが魅力を持っている証拠でもある。
高い視点で歴史を作ってこられた諸先輩の志を継ぎ、ちかいとおきての実践のもと、上郷の地で温かく青少年を育成し、いつか帰ってこられる場所として99団の発展に今後も努力していきたい。
2016
発団40周年記念式典
チーフが新しくなる
藤本欣司氏 県連理事長就任
第12回アグーナリー
40周年記念キャンプ
2017
ホームステイ(大韓民国)
団ハウスがリニューアル
地区再編制でみなと地区に所属
難民支援プロジェクト
99団の日活動開始
40周年記念誌発刊
2018
菊スカウト進級
海外派遣(台湾)
須藤照夫氏 藤本欣司氏 かっこう章受章
第17回日本ジャンボリー
2019
東日本大震災支援活動
神奈川連盟創立70周年
2020
Covid‐19でおうちスカウティング開始
文部科学省委託事業
2021
Covid-19で5カ月間対面活動自粛、Web活動
神奈川県教育委員会後援事業
2022
発団45周年記念誌発行
日本ジャンボリー参加
神奈川県教育委員会後援事業
2023
世界スカウトジャンボリー 韓国派遣
菊スカウト進級
2024
能登半島義援金募金活動
スーパーカブスカウト誕生
菊スカウト進級
第13回日本アグーナリー